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安心してください、パンツを穿いています!(LGBT差別を巡って)

公開日: : 最終更新日:2018/11/01 LGBT , , , , ,

約4,500字

小川論考の要旨

 文藝評論家の小川榮太郎氏『政治は「生きづらさ」という主観を救えない』(新潮45、2018年10月号)を巡って批判が巻き起こりました(以下では、小川氏の論考を小川論考と称します)。
 この記事でも、小川論考について検討します。
 まずは、小川論考の要旨をまとめておきます(以下、引用は全て小川論考からです)。

要旨

性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。「人間ならパンツを穿いておけよ」と。

 小川論考の第一段落で出てくる表現です。その一言に集約されます。
 要は、
 LGBTの議論は、性的嗜好についての議論であり、性的嗜好は「秘め事」なのだから「私的な領域」「私的領分」で話すことがらであって、そこに政治が介入することはできない、いや、介入するべではない、と言っています。
 LGBTの苦しみや生きづらさというのは、彼らの単なる主観なのであるから、政治は彼らの主観を救えないし、救ってはならない、とまで言います。

 政治は個人の「生きづらさ」「直面する困難」という名の「主観」を救えない。
 いや、救ってはならないのである。

 果たしてそうなのでしょうか?
 以下では、
 LGBTが「私的な領域」「私的領分」での話なのかを、『公私二分論』の議論を通して明らかにしたいと思います。
 そのうえで、同性婚の議論の仕方を検討したいと思います。

「公私二分論」

 小川論考は、性の問題を私的領域の問題であるとし、政治で扱うべき問題ではないとしています。
 本当にそうでしょうか?
 要は、『公私二分論』の理解に関わります。

『公私二分論』とは?

 『公私二分論』というのは、「多様な価値観の公平な共存を図る」という憲法の存在理由を支えるうえで極めて重要な考え方です。
 私的な価値、たとえば、特定の神を信じるべきか否かを公的な議論の場(「公共空間」)に持ち込んだのでは、公共空間が価値観の対立の場となり、互いの価値観を叩きのめすまでの争いになることが多々生じます。これでは多様な価値観の公平な共存を実現することができなくなります。
 だからこそ、私的な価値を公共空間に持ち込まない工夫が必要となるのです。憲法の「政教分離」(20条、89条)はその一例です。特定の宗教を信じる人々は、その宗教が絶対に正しい、と信じています。政治と宗教が結び付くと、特定の宗教的価値が政治の世界の前面に出てきますが、そうなるとその宗教を信じていない人々の価値観は否定されることになります。これでは、「多様な価値観の公平な共存」を図ることはできません。だからこそ、憲法は「政教分離」を定めているのです。
 一見すると、小川論考は、『公私二分論』に忠実な考えのように見えます。性的な事項はまさに私的事項といえそうだからです。
 ですが、『公私二分論』によれば性的な問題が当然に私的領域の問題となる、というわけではありません。『公私二分論』は、問題の性質で『公私』を切り分けるのではないからです。

『公私二分論』の切り分け基準

 『公私二分論』にいう『公私』の切り分け基準は、理由付けリーズニング)にあります。
 性的事項でも、理由付けによって『私』にもなれば、『公』にもなります。
 たとえば、

性的に魅力がある同性・異性のタイプは何か?

という問題は、まさに『私』の領域(「私的空間」)での問題です。性的な魅力の判断基準は、個人的なものだからです。性的な魅力の判断基準は、したがって、公共空間で議論すべき問題ではありません。
 ですが、

“同性婚を認めるべきか否か?”

という問題は、まさに『公』の領域、公共空間での問題です。同性愛か異性愛かで権利保障に差がある場合、その差をどうすべきかは公共空間で議論されるべき『公』の問題となります。百歩譲って、同性愛が性的嗜好の問題であるとしても、それがゆえに同性婚を認めるべきか否かを政治で、つまり公共空間で議論すべきではない、とは到底言えません。
 そもそも、同性愛は、性的「嗜好」の問題ではなく、性的「指向」であって、先天的な性質だ、というのが定説です(事実を無視した言論が最近よくなされますが、そういう言論は言論のルールを無視した言論テロとでも言うべきでしょう。事実に基づく言論でなければ単なる暴言にすぎません)。
 そうである以上、生まれながらの性質によって、婚姻できる(異性婚)、婚姻できない(同性婚)という差異を設けることが良いのかどうか、を公共空間で議論する必要は高いのです。


 また、小川論考では、性的な秘め事は、私的領域の問題であるから政治(公共空間)で議論すべきではない、としています。
 たしかに、性交渉の具体的な内容に踏み込むことは公共空間で議論すべきことではありません。
 ですが、ここで問題となっていることは、同性愛か異性愛かで権利保障の有無(婚姻の可否など)、程度に差があることが良いのかどうかです。その議論をする際に、同性愛者の性交渉の内容などまったく関係ありません。異性婚を制度化する際に、異性間の性交渉の具体的内容を議論するでしょうか?しないはずです。それと全く同様です。性交渉の具体的内容に触れずに議論をすることができます。
 したがって、

性行為を見せないのが法律の有無以前の社会常識、社会的合意であるように、性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である。

と言われても、LGBTの議論は性行為を見せることではないですし、性的嗜好についてあからさまに語るものでもないですから小川論考は問題外なのです。そもそも、LGBTは性的嗜好の問題ではなく、性的指向の問題なのですから、二重に問題外です。
 ですから、小川論考が、性的な秘め事は私的領域の問題であるから政治(公共空間)で議論すべきではない、ということを理由にLGBTの議論を政治(公共空間)で議論すべきではない、というのは論点がずれているのです(あえてズラしているのだと思いますが…)。

「同性婚」の議論の仕方

同性婚・異性婚の価値的重み

 『公私二分論』に関するこれまでの議論を踏まえて、次は「同性婚」の議論の仕方を検討していきたいと思います。
 行政実務をも含めた現在の法制度が異性愛者を前提としていることは明らかです。婚姻は、男女間で認められていることを前提に社会は動いています。なぜなら、同性間の婚姻届を役所は受け付けないからです。
 これは、異性愛者の婚姻だけを社会的に承認しており、同性愛者の婚姻は社会的に承認しないという国家・社会の意志表明です。この意志表明は、同性婚が社会的な承認に値しない、つまり推奨されない(推奨に値しない)という内容を意味します。同性婚は、異性婚に価値的に劣る、という意志を表明しているわけです。
 「多様な価値観の公平な共存を図る」という憲法の存在理由からすると、異性婚と同性婚の価値的重みは同じであるという前提から出発すべきです。
 もっとも、価値的な重みが同じであっても、かかる価値を肯定することが他者の権利・利益を侵害する場合に権利保障に差を設けることは憲法上許容されます。
 したがって、異性婚と同性婚との間に現存する権利保障の違いは、同性婚を認めると他者の権利・利益を侵害するから、という論理が成り立つか否かにかかってきます。
 はたして、その倫理が同性婚を認める場合に成り立つのでしょうか?

同性婚否定の根拠

 同性婚否定論者の根拠としてよく出されるのは、要するに、同性婚は子を産まず、人口減少につながり、日本社会が成り立たなくなる、ということです。他者の権利・利益を侵害するから、という理由ではなく、国家的・社会的理由が持ち出されます。政治家の「同性婚は生産性がない」という発言も同様です。
 これは、個人の尊重を基本とする憲法秩序の全否定といえます。
 夫婦は子を産むべきである、という特定の価値観による公共空間の独占を意図した言論です。多様な価値観の公平な共存に真っ向から反対する議論です。
 小川論考では、トランスジェンダーに関してですが、性の概念を曖昧にすれば必ず被害者を激増させる、と言っています。

 性意識と肉体の乖離という心理的事実が実在するからと言って安直に社会が性の概念を曖昧にすれば、必ず被害者を激増させる。現に、性転換をした後に後悔・自殺する人が後を絶たない。社会に使嗾されて、一時的な同性愛感情やホルモンバランスの変化を性の不一致と勘違いする例が多く生じるからだ。同性愛者が一定年齢から異性愛に転ずる例も多い。性概念が個々人の中で揺らぐものだからこそ、Tという概念規定で性意識を縛ることは人性への冒瀆と言うべきなのだ。

と言っています。
 まず、「冒瀆」という表現は、公共空間で用いるべき言葉ではありません。自分の価値観、ここでは、人間の性は固定的であるべきだ、という個人的な価値観を前面に押し出す表現だからです。そのような価値観を前面に押し出されてもその価値観に反対の立場の人とは議論が平行線になるだけです。
 次に、「社会が性の概念を曖昧にすれば、必ず被害者を激増させる」という部分です。被害者が「激増」するのかどうかは不明ですが、「激増」すると仮定したとしても、問題は、小川論考が言っている「被害者」が誰であるのか?という点です。ここでの「被害者」はトランスジェンダー自身です。要するに、自分です。自分は被害者にはなりません。自殺未遂を処罰する規定がないことからも明らかです。ということは、小川論考では、「他者の権利・利益を侵害する場合」については何ら触れていません。そうであれば、異性婚と同性婚との間に権利保障の有無・程度の差異を設ける理由がないことになります。
 そうであるにもかかわらず、小川論考では、同性婚を否定しています。頭ごなしの否定です。

 同性婚である。
 これは全く論外であり、私は頭ごなしに全面否定しておく。

と書かれています。
 同性婚が、他者の権利・利益を侵害するとの指摘もなしに、同性婚を頭ごなしに全面否定するわけですから、もはや小川論考では同性婚は嫌いだ、だから認めない、と言っているに等しくなります。

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